12月23日

朝は授業。昼から図書館に行き、作業。夜には友人と飲みにいく。クリスマスということで留学生の男達も孤独に苛まれているようだ。こちらでの合い言葉は「咱们一起感到孤独吧!(一緒に孤独を感じようぜ!)」である。

いつも水曜日の午後は、ノルウェー人(日本好きでエロい)、アメリカ人(マッチョで気弱)、スウェーデン人(ノッポでかっこいいが、いつもどもる)、そして私のクラスメート四人組でご飯を食べに行くことが恒例となっていたが、ノルウェー人が帰国してしまうので、四人組の最後の昼ご飯となってしまった。なんとも寂しい。もうすぐ学期も終わるなぁ。

政権発足100日、日本の新聞では様々に報じられているけど、総論では、民主党への政権交代自体には高い評価を与えられているんだと思う。現政権の支持率が低下している主な原因は鳩山首相のリーダーシップ、政治指導の未熟さにあるように思う。民主党政権になって、日本国民は、予想していたより色々と変化が起こっているということを肌で感じれたんではないかと思う。私自身も、日本の総論と対して変わらない意見であるが、結構鳩山政権の理念自体も支持していたりする。私は選挙で民主党が勝利した翌日の8月31日に北京入りしたから、民主党政権を避けるようにしてきたと思われるかもしれないが・・・なんて誰も思わないけど。

ニューヨークタイムズでは結構連日のように『08憲章』の起草に携わった劉暁波氏の裁判模様が報道されている。今日は世界面のトップ記事だった。たしかに『08憲章』は草の根の新たな民主化活動に捉えた人が少なからずいたが、同時にその後の中国共産党の対応の仕方を見ていて、私は希望というよりも失望を念を抱いてしまった。中国ではその存在を知る人は極めて限られているし、大きな運動になりそうにもない。中国の民主化を考える際の大きな枠組みについて唐亮氏は「下からの民主化要求」と「上からの政治改革」があると指摘する。『08憲章』などの一連の動きが前者のものだとすれば、昨日書いた村民選挙の実験的実施が後者にカテゴライズされるだろう。今のところ、中国では後者を基本とした動きが中国に民主化をもたらす主な胎動のように感じられる。

《邓小平年谱(1904—1974)上中下巻》が出版される見通しとなったようだ。既に2004年に後年の年譜(1975-1997上下巻)が出版されているので、今回は二度の失脚の部分についての史実が年譜として明らかにされる。人民日報の記事から中央文献研究室の力の入れようが伺えた。読むのが楽しみだ。