1月21日

夜中うなされる。長い夜が明けてようやく朝が来る。嘔吐し、なにかと痺れていて、苦しそうにしている私をみて、旅行の相方も心配してくれて、朝からそのタイ族の家から景洪の病院に向かうことになった。そうすると、親切にもタイ族の家族が車を出してくれて、通勤次いでに我々を送ってくれた。しかし、それでもラフロードを一時間。私は死にそう呻きながら、後部座席で座っていた。

病院に着いて、痺れもあるということで血液検査とCT検査を受ける。左足の痺れは結構ひどくて、うまく歩けないくらいにまでなっていた。結果が出るまで、点滴を打つことになった。旅行の相方は、一連の作業が終わると、予定していた打洛というミャンマー国境地に行ってしまった。それから私は六時間余り点滴を打って、過ごす。抗生物質などの痛みを伴う点滴を打っていたので、あんまり眠れず、退屈にして過ごす。それでも点滴の六時間を経ると大分マシになった。

検査の結果も特に以上なしで、あえて言えば鉄分不足ということで鉄分の栄養補助剤を薬としてくれた。なんなんだこの検査結果は?おそらく、昨日食べたものの中にアレルギー反応を示すものがあって、それらをがっつり食べてしまったことが原因だったんだと思う。それでも、無事に治って良かった。

それからホステルに戻り、ベッドで休む。暇を持て余し、ホステルの共有エリアでネットなどをしていると、一回り程年上の中国人女性が私を見るや、マシンガンのように話しかけてくる。最初は頑張って応えていたものの、途中から面倒くさくなり、無視してパソコンに向かうと、彼女はあきらめてどこかへ消えて行った。

それから、ちょっとぶらぶらしようかと、外へ行こうとすると、再びその中国人女性が現れて、散歩に付いてきた。そこでもマシンガントークが炸裂する。実は中国人にはこういう類いの人が結構いる。私はおしゃべりは嫌いじゃないほうだけど、中国語で早口でしゃべりまくられても、なかなか臨機応変には対応できないし、文化も違う他人には話しもそれほど広がらない。ましてや、病気をして体力の消耗している時にはゴメンである。しかし、断るのも面倒くなってきて、結局その中国人と二人で散歩することになった。

一時間程半分連れ回される格好で、景洪の夜市場などを散歩をした。気力、体力ともに消耗したけど、おもしろいところにも案内してもらった。そうこうしているうちに旅行の相方が帰ってきた。疲労していたので、私は早めに寝ることにした。久しぶりにぐっすり眠れた夜だった。