1月25日
べトナムのハノイ市内のザーラム駅というところには早朝の現地時間5時に到着した。昨日電車に乗り込む時点で判明していたが、実は人民元をべトナムのドン通貨に変えずべトナム入りしてしまっていた。だから、まさにこちらに到着した時には、一文無しの状態。そして、まだ暗く右も左も分からない。その上、銀行があるハノイ市街までは5kmほど離れているとのことである。駅は国際列車の停車駅とは思えないほど、設備が悪い。待合室で三十分ほど休んだ後、暗がりの中、適当にハノイ市街を目指すことにした。とにかく車やバイクが向かう方向へと歩く。すると、バイクと徒歩の人だけが通れる長い長い橋にたどり着いた。その頃には空も明るくなってきており、霧に包まれたハノイ市街が見えるようになった。一キロ以上はあるその橋を渡ると、ハノイ市街に入れたようだ。合計二時間ほど彷徨い歩いた末、ユースホステルに入ることができた。
それから、肝心の換金である。銀行の場所を訪ね、銀行に訪ねてみるも、人民元は換金してくれない。ヴェトナム銀行という大きな銀行に行ってみても、換金してくれない。銀行員に聞いてみると、ゴールドショップへ行けといわれ、地図で場所を教えてくれた。市街地の少し北の方へ歩いた所に小さな金と貨幣を交換してくれる怪しいお店があった。コミュニケーションもとれないので、うろうろして様子を伺っていた。ヴェトナムでは大抵の人は英語が通じない。なので、我々はあえなくボディランゲージで交流を図らなければならなくなるのだ。近くに中国の吉祥装飾をしているお店があったので、店主に英語で話しかけてみるも、無視される。ニーハオと行ってみると、「なにか用か?」と中国語でだるそうに答えた。そのおじさんと中国語でその旨を説明すると、やはりゴールドショップを指差す。どうやら、ゴールドショップの三階に行けば、人民元とドンを交換してくれる窓口があるとのことだった。さっそく行って、交換してもらう。後で調べたが、普通より良いレートで交換してもらえたようだ。それにしても、ヴェトナムの首都ハノイでこれだけのインフラしかないとなると、相当な途上国に来てしまったようである。
ハノイの町並みは、どこか西洋情緒溢れるもので、フランス統治時代の影を想起させる。路上では、フランスパンを売る売店が並び、ニコやかに微笑みかけてきて、営業をしてくる。このあたりの人の表情などは中国人以上に好感を持つ。路上を走るものは、バイクが圧倒的に多い。多いというレベルではなくて、異常である。ほとんどの道路がバイクで埋め尽くされている。そしてバイクのほとんどがHONDAとYAMAHAのプレートを付けている。車はTOYOTAを中心に日本のものがあるが、ヒュンダイやベンツなども目立つ。とにかく、海外の製品がべトナムの生活の中にかなり入ってきているよう。見た所、貧富の格差は目立たず、それぞれ個人商店を開いており、色々なものが売り買いされている。平和な風景である。街の中には旅行者を多く見ることができるが、特に目につくのが、欧米系の旅行者。日本や中国などでは見たこともないほどの数の欧米人がハノイで旅行をしている。交差点によっては現地人よりも欧米人の方が多いくらいである。なぜだろうか。
ホステルで用事を済ませた後、我々は、徒歩で市内観光を開始する。ハノイは首都にしてはそれほど大きくないので、徒歩で回れる。しかし、生憎月曜日は博物館などの公的機関は休みになっており、大体閉まっていた。そして、クラスメートのヴェトナム人官僚には連絡がとれず、二人で夜市場などを見て回ることにした。言葉も通じないし、意外とおもしろくない。
それでも、食に関しては、ちょっと前に病気したにも関わらず、現地人があつまるお店に入り、フォーやニョンなどを食べる。特に炒めたフォーがとてもおいしかった。夜には、現地の若者がたむろしているカフェに行ってみて、その中に混じってジュースみたいなものを飲んでいた。現地の人にも話し掛けて見ると、その中で日本語がわかる人がいた。日本に三年程仕事に来たことがあるということで、コミュニケーションに苦労しながらも、日本話で盛り上がる。
ホステルに戻り、ビールを飲みまくった後、就寝。