6月20日

朝は部屋で作業。昼前にランニングをして、昼以降は試験を受ける。試験が終了してからは、マンガ喫茶へ飛び込み、それから6時間ほどマンガの世界に入浸る。『リアル』、とてもおもしろい。結構微妙な問題を扱いながらも、それをまっすぐに、そして丁寧に描く井上雅彦の姿勢に敬意にも似た感情を抱く。後最近ハマっているのは、『GANTZ』。ヤングジャンプ系のアニメにハマっているようだ。

李鵬の日記の出版が中止、あるいは延期になったらしい。その理由は情報が錯綜していて、新世紀出版へのインタビューでは、版権の問題だということもいわれているし、政権当局の介入があったとも言われている。李鵬の6.4日記の出版自体にはかなりの意義があると思う。というのも、去年出版された(邦訳は今年)趙紫陽の回顧録では、李鵬はかなり保守派で最後まで武力鎮圧を譲らなかったという描き方である。個人的な意見をいうと、趙紫陽本は、貴重な資料でありながらも、主観的観点と時間の経過により捩じ曲げられた見方が所々見られる気がする。それらの偏差を相対化する意味でも、李鵬らいわゆる強硬派からの視点で書かれたものは非常に貴重な資料となるはずだったのだ。すでに2万部刷られたのだから、そのうちデータ版が流出するかもしれない。また、この件でもう一つ気がかりなのは、政権当局の介入があったとする説では、現政権の中心である胡錦濤、温家宝らが天安門事件で強硬派寄りの姿勢であったことが記述されていたからだという。そういえば、趙紫陽では現政権の人物に対する記述などは見られなかったのでその部分も気になる。が、それ以上に重要なのは、もし現政権がそのことに神経を尖らせているのであれば、今の時点で天安門事件に対する歴史的評価が揺らぎ始めているのかもしれないということだ。より具体的にいうと、天安門事件の虐殺性や過失を公式見解として発表する可能性が近い将来にあるかもしれない、ということである。それを裏付けするような、気がかりなことが少しばかり最近ある。例えば、最近キャメロン英国首相が、1972年のいわゆる「血の日曜日事件」に対する公式謝罪をしていたが、それについて、中国政府系の新聞などが何度か取り上げていたことである。特に評論などはしていなかったが、こうした報道は、天安門事件と構造が似ているため、天安門事件の見直し運動につながりかねない可能性がある。そのため、私はこうした記事が堂々と紙面のトップクラスを飾っているのを見て、少々意外に感じていた。想像を無駄にたくましくしてしまったかもしれないが、もし今回の李鵬日記の出版取り止めに政権側のなにかしらの関与があったならば、少しおもしろい構図が浮かんでくるような気がする。