12月28日
朝から授業に参加。夕方から、明日帰ってしまうノルウェー人と最後の晩餐。ケンタッキーで食べきれぬほどのフライドチキンを注文し、二人で食べあさる。二年後日本に留学にくるとのことなので、またその時に再会する。
夜には部屋に戻り、作業。
なぜか、今日は朝日、読売のインターネット版にアクセスできない。うーむ。
徐々に、日中歴史共同研究の第一段階の成果が人民日報などの主要新聞にも報道されてきた。しかし、その記述はいたって慎重である。まず、中国側座長の歩平社会科学院近代史研究所所長の見解が紹介され、彼は第一段階を以下のように簡単に総括する。すなわち、「同一の議題に対して、意見を交換し、十分議論し、各自の意見を述べる」ということである。また、第一段階の意義を三つの点に見いだす。一つは、落ち着いた環境で学者の客観的で学術的な観点から歴史を研究すること、二つめは、日中両国の国力に鑑みて、一部の民衆と世論は不適切であるので、相手に解決方法を提示すること、最後にグローバリゼーションの趨勢のもと、相互の対話と協力と平和と発展を一つの潮流にし、共同研究をその潮流にふさわしいものにし、アジアの協力を推し進めるための障害の除去を試みることである。
ただ、具体的な成果に関しては、日本側が1931年から1945年までの戦争を「侵略」的だと認めたことなどを挙げ、(化学兵器遺棄、実験など)未だ残る様々な問題に対しての日本側がその存在を認知していると指摘するなど、できるだけ、敏感な問題は避けるように報じている。また、南京事件については、日本側がその存在を認めたことを記すのみで、両論併記などには触れていない。(ただ、環球時報には、「死亡者」数問題について日本側が同意していない旨を報じている。)
一方で、どういった意図かはよく分からないが、日中歴史共同研究は、あくまで学術的観点であって、日中両国の正式見解を述べるものではないということを強調する。おそらく、世論の反発を抑えるためだろう。ただ、あまりに政治問題と切り離して論ずる共同研究自体の意義を損ないかねない。