6月26日(ウルムチ)
早朝に起床し、荷物の最終確認をして、家を出る。家を出たのは5時過ぎ。昨日は送別会やらなんやらで、結局夜中まで外出していて、ほとんど寝られなかった。
チケットを売ってくれたおばさんの薦めにしたがって、1時間ほど前に空港に着く感じで家を出たのだけど、ほとんどぎりぎりで7時半のフライトに間に合った。
そこから4時間ほどのフライトで11時過ぎにウルムチに着く。その日のウルムチの温度は19℃ということで、北京と比べると格段に涼しい。おまけに空気もきれいで空も澄んでいる。市街と空港は距離的にも近いらしく、30分ほどシャトルバスに乗ると、着いてしまった。まずはウルムチ駅に行く。トルファン行きの列車のチケットと地図を手に入れるためである。
駅は公安や警察が警戒態勢を敷いていた。身分証チェックと鞄の中身のチェックなどは、ここでは当たり前らしい。去年のウルムチ暴動からもうすぐまる一年である。警戒態勢は緩めれないのだろう。駅構内はチケットを買い求める人でごった返していた。おそらくその大部分は旅行者ではなくて、旅行代理店関係の人である。転売で儲けようとしている人たちである。
私が並んだ列では、前にウイグル民族の男性、後ろに漢族の男性が並んでいた。すると前のウイグル民族の男性が私に訳の分からない言葉で話してくる。どうやら、ウイグル語で話してきているようで、私をウイグル民族だと思っているようだ。私は、民族的亀裂が激しいと聞いていて、ウイグル民族の人達に警戒されないように、ヒゲを生やしていたので、それが裏目に出たようだ。私は日本人にしては濃い顔をしているので、以前からウイグル人や東南アジア系に間違えられてきたが、こちらに来てみると、本当にウイグル人に間違えられるようだ。しかし、わたしはウイグル語が話せないので、中国語で訳を話すと、変な中国語で、上海と杭州行きのチケットがあるから買わないか?と聞いてくる。トルファンに行くのでいらないというと、行き先を変えろと言ってくる。なんて奴だ。その時、後ろから漢族のおじさんが私の注意を向け、相手にしないでおけ、といったジェスチャーをする。なんとなく、民族間の違いのようなものが垣間見えた。それから漢族のおじさんは私に観光すべきスポットなどを親切に教えてくれた。
チケットを購入した後、事前に調べていたホテルに向かう。目的地へ向かうバスの運転手がウイグル人で、横に立っていると、またウイグル人に間違えられた。中国語で話すと、親切に降りる駅などを教えてくれた。ホテルにチェックインして、荷物を整理して、観光に出かける。ウイグル人が多く住む、二道橋という地区に行く。本当に街のほとんどがウイグル人だった。ちなみに、ウルムチという街は、漢族の流入が多く、いまやほとんどが漢族の住む地区となっているようで、街で見かける民族比も7対3くらいで、漢族の方が多い。色々とこちらに住む漢族の人の話しを聞いていると、移住してきたのは、だいた50年ほど前の人が多かった。つまり、ここに住む漢族は二世が多いようだ。漢族の増加が結構前に始まっているとなると、なぜ去年の民族暴動は突発的に見える形で発生したのだろうか。不明である。
話しを戻すと、そのウイグル人の多く住む地区では、何度もウイグル語で話しかけられる。できることなら、私もスラスラとウイグル語で対応してあげたいが、なにしろ一言も分からない。どこからか湧く親近感と罪悪感を感じながら、中国語で応答すると、部外者の扱いに変わってしまう。どうも、言葉によって、部内者、部外者を結構分けているようだった。昼間はウルムチの街をそのまま歩き回る。
夕方になると、疲れてもいたので、部屋で一旦休む。九時くらいに起きて、それから有名な夜市場に行く。といっても、9時でもまだ夕方で、10時ごろに日の入りを迎える。夜市場は去年の同じ時期に暴動が起きた場所である。もちろん限界体制で、荷物チェックをいちいちされるし、銃を装備した警察が頻繁に見回りしている。ちなみに警察は漢族もウイグル人もいる。混合部隊のようだ。
一通り回った後、ウイグル族と回族が経営する出店で食べることにした。たまたま席が一緒になった漢族の男性とかなり仲良くなって、色々とおごってもらってしまった。全身入れ墨で強面のおじさんだったが、とても良い人だった。12時過ぎにホテルに戻る。
今日はご飯で予算をオーバーしてしまった。明日は少し節約しよう。